「あなた、何年生?」 気の強そうな瞳の持ち主が、こちらを真っ直ぐに見つめている。 「1年生です」 「なるほど。やっぱり新入生だったのね」 本当はこの学校の生徒じゃないんです、なんて正直に言えるわけがない。制服を着ている以上、嘘をつき通すしかないのだ。 「私は2年生の高嶺響。あなたの名前は?」 少女はそう言って葵の方に少し身体を寄せてきた。切れ長の瞳が印象的なその女の子は黒髪を後ろで束ね、首筋を露にしている。形の整った耳たぶと、なだらかなカーブを描くうなじに視線が引き寄せられる。 綾香以外の女性と間近で接した経験など皆無である。大して歳は変わらないはずなのに、隣に座ってる年上の少女からはほんのりと大人の色香が漂ってくる。 「名前、教えてくれないの?」 「あ、あの……葵、です」 急速に胸の鼓動が早くなったのを意識しながら、慌てて返答する。 「苗字……じゃなくて、名前だよね?葵ちゃんって呼んでいい?」 矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。押しの強いところは綾香に似ている。お嬢様学校に通っているのは、こんな性格の人ばかりなのだろうか? 「(何でこんなことになったのかな……)」 視線を逸らして適当に相槌を打ちながら、葵は自問する。 ここは綾香の通う学校の最寄り駅にある待合室だ。前の電車が出発したばかりで、葵たちの他には、向かいのベンチに老夫婦が座っているのみである。 校門で見知らぬ少女に声を掛けられたのは10分ほど前のことである。待ち合わせ中だからと断ったのに、いきなり腕を掴まれ、否応なしにここまで連れてこられてしまった。 「(綾香さん、僕のこと探してるよね)」 校門前で落ち合うはずだった時刻から、既に30分が経過している。相変わらず綾香から連絡は来ないが、今日は携帯電話を持っていないという可能性もある。 寒い中、自分を探して学校周辺を歩き回っているだろうか。あるいは葵が待ち合わせ場所にいないことに腹を立てて帰ってしまったかもしれない。 「(どうしよう……)」 綾香に嫌われてしまったのではないか、という強迫観念が心の中で膨れ上がる。裏付けなど全く無いままに、ネガティブな考えばかりが頭の中で渦を巻き始める。 待合室のベンチは葵の下半身に冷えた感触を伝えてくる。その刺激は水をいっぱいに貯めた膀胱を収縮させ、ますます切迫する尿意は冷静な思考を奪い去っていく。 奥にある公衆トイレの方へ何度か視線をやりながら、この場を離れる言い訳を必死に探す。 「あの……知り合いと待ち合わせしてたので、学校に戻っていいですか?」 そう言って腰を浮かしかけた瞬間、響に素早く腕を掴まれてしまう。 「ここで待っていればいいじゃない。電車通学の人ならこの駅を通るでしょ」 あっさりと切り返されてしまい、次の言葉が出てこない。その間にも、下腹部の水門をこじあけようとする内圧はどんどん高まっていく。内腿に力を込めて擦り合わせる度に、ベンチの溶接部からギシギシという金属音が響く。向かいの席に座る老夫婦が怪訝そうな表情を浮かべて葵たちの方をちらっと見た。 「ほんとに……すぐ行かないと……」 訴えかけるような瞳で響を見上げる葵。元々女の子っぽい声のトーンがさらに上がり、尿意を我慢すべく子供のように足踏みを繰り返す。 「……仕方ない、明日また話そっか」 さすがに葵の切羽詰った様子を感じ取ったのか、響も態度を軟化させる。 「でもその前に、ひとつだけ」 やっと解放してくれそうな流れになり、小さく安堵のため息をついた時だった。年上の少女は鞄に手を突っ込むと、おもむろに1枚の写真を取り出した。 「これ、君でしょ?」 集合写真のようだが、見知らぬ人たちばかりが写っている。自分とは一切接点が無いように見えるが……人違いだろうか? 「ここよ、ここ見て」 訝しげな表情を見せる葵の様子を見て、響はある一点を指で示した。 「……!?」 思わず息を呑んだ。集団撮影している一群の後方、フレームの端のところに、連れ立って歩く2人の少女が写っている。 「(僕……だ……)」 ピントが若干ずれた画像ではあるが、この衣装には見覚えがある。先日綾香と行ったイベントでコスプレした時に着たものだ。その日写真を撮られた記憶は無いから、偶然ここに写りこんでしまったのだろう。 そして葵の隣に写っているのは、綾香だ。ピンボケしている上に私服姿ではあるが、プロポーションの良さと長く印象的な黒髪が彼女であることをはっきりと特徴付けている。 「君だよね?」 響がうつむき加減の葵の顔を覗き込む。 「(どうしよう)」 この人はどこまで知っているのだろうか? それを聞いたところで逆に問い詰められるきっかけを与えてしまいそうだし、ましてやこれが自分ですと肯定するわけにもいかない。 「こういうイベントとか興味あるの?よく行くの?」 隣に座る少女のテンションは次第に上がっていたが、彼女の声は葵の耳に届いていない。呼吸は乱れ、動悸は激しくなり、脚の震えが止まらない。 「(綾香さん……助けて)」 目を閉じて、姉のように慕う幼馴染みの顔を思い浮かべる。 「……!」 その時、膝の上にのせていた鞄から小刻みな振動が伝わってきた。携帯への着信だ。慌てて電話を取り出し、発信元を確認する。 「(綾香さん!)」 葵の思いが伝わったわけでは無いだろうが、とにかく絶妙なタイミングだ。葵が待ち合わせ場所にいないことに怒って電話をかけてきたのかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。 「友達から電話があったので……失礼します!」 緊張させ続けていた括約筋が一瞬緩んでしまったのか、立ち上がった拍子に熱い感覚が男の子の中心を通り抜ける。 「(だめっ……!)」 とにかくこの場から離れるしかない。悲惨な結末を目前にして硬直しかけた身体を奮い立たせ、待合室の外へと走り出そうとした時だった。 「どこ行くの?待って!」 「あっ!」 急に手首を掴まれ、持っていた携帯電話が宙に浮く。キャッチしようと手を伸ばすが、指先は空を切り、派手な音を立てて携帯が床に転がる。視界が急速に流れて天地が反転し、踏ん張ろうとした脚にも力が入らず、そのまま背中から崩れ落ちる。 鈍い音と共に目の前に火花が散った。まともにベンチに頭をぶつけたらしい。 「や……ぁ」 腰の奥からどんどん暖かい感覚が広がっていく。お尻の周りに溜まっていく熱い液体が何であるか、考えるまでもない。絶望感に打ちひしがれながら、葵はゆっくりと目を開けた。 「あなた……それ……」 真っ先に視界に飛び込んできたのは、傍に立ち尽くしたまま、呆けたような表情で葵を見つめる響の姿だった。半開きの口から漏れる言葉は意味を成さず、まさに目を白黒させているといった様子である。 まだ頭がくらくらしていて、響が何を見て驚愕しているのか理解するまで数秒間を要した。しかし、彼女の視線を追って自分の下半身に目を移した時、今度は葵の血の気が引いた。 倒れた拍子にスカートが腰までまくれ、下着が露になっていた。女の子用の薄手のショーツは溢れ出るおしっこで透けてしまっている。そして、その中心に見えているのは……。 「ひっ!」 慌てて上半身を起こし、スカートを下ろして恥ずかしい部分を隠す。 「(見られ……た?)」 太腿の間を制服の上から両手でぎゅっと抑えつける。自ら放出し、衣服に染み込んだ熱水のぬくもりが手のひらに伝わってくる。溢れ出す量は一時的に減ったものの、貯水槽に満水ぎりぎりまで溜まった液体は、次の放出タイミングを求めて渦を巻く。 ……どこまで響にバレてしまったのだろうか。 靴下の先までおしっこが染み込み始め、冷えていた下半身が体温と同じぬくもりに包み込まれる。心地よい浮遊感を覚えながら、葵は思考を巡らす。 下着の奥で震える、性別の証まで見られてしまったのだろうか? それとも、単におしっこの染みを見られただけだろうか? しかし、葵の胸に浮かんだ淡い期待は、響の発した一言によって消し飛んでしまう。 「あなた、男の子……だったの」 「(ばれた……ばれちゃった)」 女装して、女の子だと偽っていることが知られてしまった。綾香以外の人に、初めて……。 言い訳など微塵も思い浮かばない。下半身をぐっしょりと濡らした情けない格好のまま、駅員に突き出され、どこかに連行されてしまうのだろうか。 絶望感に支配された身体の震えが止まらない。先ほどまでほんのりと温かかった足元から急速に体温が奪われていく。 「へぇ……」 嘲るような声が耳に届き、葵は顔を上げて傍らに立つ少女を見上げる。彼女が手にしているのは、葵が先ほど床に落とした携帯だ。着信ランプが点滅し続けている。 「藤崎……綾香」 電話の画面に表示されている発信元の名前。それを響が読み上げていることに気付いた時、葵の瞳は焦点を失い、視線は虚空をさまよう。 「あぁ……あ……あ」 血の気を失った唇は小刻みに震え、嗚咽が断続的に洩れる。 「やっぱり……君たち、知り合いだったんだ」 |
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