〜リポーター〜





「あと何組で終わるんだろう…」

 波間に反射する太陽の光に照らされた彼女の顔は、少し青ざめているように見えた。
ここは日本で最大級の湖のほぼ中央に位置する場所である。周囲は見渡す限り水面が広がっていて、対岸がかすんで見える。

「次の組が飛びました。中継ボート、末永さん、準備OK?」

 彼女の耳につけたイヤホンから、男性の声が響く。同時に、遠く離れた湖岸に作られた櫓から、グライダーのような機体が飛び立つ。翼を左右に振り、少しバランスを崩すような挙動を見せた後、ゆっくりとこちらの方へ滑空してきた。
 
 ”飛行機コンテスト”と呼ばれるイベントがこの湖を舞台に開催されるようになったのは、かれこれ10年ほど前である。湖のほとりに組み立てた滑走路の上から、自前で設計したグライダーをパイロットを乗せて飛ばし、飛距離を競い合うイベントである。
 工学系の大学がお互いの設計技術を見せ合う場でもあり、特にテレビで中継されるようになってからは、参加者も一気に増え、ライバルチームがしのぎを削る、白熱した競技会へと変遷しつつあった。

 飛び出した機体が、ほどなく着水するのを見届けると、今しがたイヤホンで指示を受けていた女性は、一度浮かしかけてた腰を下ろした。
 彼女の名前は末永理穂。今年テレビ局に入社したばかりの新人アナウンサーである。ショートカットの髪に、大き目の瞳、そして少しふっくらとした顔の輪郭が、彼女の柔和な雰囲気をかもし出している。今風の”美人”とか”かわいい”という表現は当てはまらないかもしれないが、持ち前の明るいキャラクターから、バラエティ番組のリポーターの仕事を任されることも多い。

 今回の彼女の仕事は、湖上を飛ぶ飛行機をボートで追走し、実況中継することである。もっとも、先ほどの参加者のようにに、発進後すぐに着水してしまえば出番はない。

 理穂は、かれこれ4時間もボートに乗りっぱなしだった。夕方から季節外れの台風による悪天候が予想されていたため、途中に予定されていた休憩もカットされ、ぶっ続けで収録が進められていた。

 彼女の乗るボートは、エンジンのついたレジャー用のものである。定員は8名程度で、撮影スタッフや、ダイバーたちが乗り込んでいる。ボートの床に積まれた大量の機材の隙間に押し込んだ簡易椅子に、理穂は腰掛けていた。上半身には万が一に備えてライフジャケットを装着している。

 少し青ざめた表情の彼女は、小刻みに体を揺らしながら、落ち着きのない視線を左右に走らせていた。

「(どうしよう…)」

 脚を組み替えて座り直すふりをしながら、そっと自分の下腹部をさする。少し押しただけで、鈍い痛みが走った。

「んっ…!」

 思わず小さな声を洩らす。内腿に力を込めたり、軽く足踏みをしたりしてみるが、体を動かすたびに、ある生理的欲求がこみ上げてくる。椅子の上で身を固くする理穂。

「(我慢…できるかな……)」

 真上を通り過ぎた太陽は、少し西のほうへと傾いていた。
元々3時頃終わる予定だったものを繰り上げて進行しているわけだから、そろそろ終盤のはず…。そんなことを考えて気をまぎらわそうとする。

 ボートの中には、一応携帯トイレも積み込んであった。しかし男性スタッフもいる前でそんなものを使うなど、考えたくもなかった。

「…理穂ちゃん、大丈夫?」

 突然かけられた声にはっとして顔を上げる。そこには心配そうにこちらをのぞき込む女性スタッフの姿があった。

「顔、真っ青ですよ?」

 彼女は同じテレビ局に勤めるスタッフである。何度か仕事が一緒になったこともあり、顔は見知っている仲である。先ほどから妙に落ち着きのない様子の理穂を心配して声をかけたのだろう。あまりの顔色の悪さを見て、少し慌てているようだった。

「船酔い?一回吐いちゃった方が楽だよ。こっち来て」

 船のへりに連れて行こうと、理穂の手をとる。

「やだっ…あ…」

 一瞬腰を浮かしかけた理穂は、手を振り払って、ボートの床にしゃがみ込んでしまう。下半身に力を入れた拍子に、身体の奥でくすぶっていた生理的欲求が急激な高まりをみせていた。

「どうしたの…大丈夫…?」

 女性スタッフは理穂の肩を抱え込むようにして、傍らにしゃがみ込んだ。

「大丈夫…何でもないから…」

 笑顔で取り繕ったつもりだったが、とてもそうは見えなかったらしい。怪訝そうな顔をしていたスタッフが、何か思い当たったような顔をして尋ねてきた。

「ひょっとして…お手洗いですか?」

「ちが…きゃぁっ!!…ぁ…」

 理穂のか細い返答が自らの小さな悲鳴で遮られる。強くなってきた風によるものか、湖で生まれた小さなうねりがボートを襲ったのである。不安定な姿勢でしゃがみ込んでいた理穂は、わずかに傾いたボートの床に尻もちをついてしまった。
 突然彼女を襲った鈍い衝撃が、下腹部の奥に潜んでいた尿意を、一気に呼び覚ます。

「あっ…やだっ……!!」

 バランスを崩した拍子に開いた脚を閉じ、太腿の付け根の辺りを服の上からぎゅっと握り締める理穂。内腿を擦り合わせて、急激に膨れ上がった内圧に抵抗する。

「理穂さん!?」

 思わず大きな声を上げる女性スタッフ。何事が起きたのかと、他のスタッフの視線もボートの床にしゃがみ込む二人に集中する。

「どうしたの?機材トラブル?」

「いえ…理穂さんが少し具合が悪いみたいで…」

 呼吸が乱れて声の出ない理穂の代わりに、女性スタッフが答えた。

「船酔いか?楽な姿勢で休んでいた方がいいぞ」

 業務用のテレビカメラを抱えた男性スタッフが近付いて声を掛けてきた。今の理穂の様子を見たら、ほとんどの人が同じような反応を示すだろう。

「(やだ…見ないで……)」

 周囲がざわつき出したのを感じて、理穂はちらっと顔を上げた。ボートに乗り合わせているスタッフのほとんどが、彼女に注目している様子が目に入る。慌てて視線を床に落とす理穂。羞恥心で頬が真っ赤に染まり、浅い呼吸と共に細い肩が上下する。
 何事も無かったように立ち上がって取り繕いたい。しかし、下腹部の張りはそれを許さないほど強くなっていた。太腿と手の力を借りなければ、一気に決壊してしまう気がする。

「…何やってるんだ!音声入ってないのか?」

 その時、プロデューサーの怒鳴り声がイヤホンに響いた。慌てて周囲を見渡すと、一機のグライダーがこちらに向かってゆっくりと近付いてきている。強くなってきた風に影響を受けながらも、姿勢が大きく揺らぐことはない。あっという間に理穂たちのいるボートの上空を通り過ぎようとしていた。

「…何か喋れ!全部カットにするつもりか!」

「すいません!すぐ中継に入ります!」

 スタッフ全員が慌しくボートの上を行き交い、撮影機材をスタンバイする。数秒とかからず、テレビカメラが理穂の姿を捉え、中継が始まった。

「こち…ら、スタートから200メートル地点です…」

 理穂は反射的に体を起こしてマイクを握り、リポートを開始しようとした。しかし、限界近くまで膨れ上がった尿意を忘れることができたのはほんの一瞬だった。

「No.42、○○飛行クラブの機体が、今頭上を…ひっ…ぁ…ああああっ!!」

 グライダーの後を追走しようとエンジンを始動したボートが、ぐらりと傾いた。床に立て膝をついていた理穂の体がバランスを崩しかけ、よろめく。

「だめ…あ…ぁ……」

 切迫した悲鳴に驚いたスタッフたちの視線が再び彼女に集中する。腰を折り曲げ、上半身を前傾させた姿勢。そしてスカートに皺が寄るほど、股間に押し当てられている両手。
 …ようやく彼らにも、理穂の身に起きていることが理解できるようになっていた。

 理穂の首筋は真っ赤に染まり、あごの先に溜まった汗か涙か分からない滴がボートの床へとこぼれ落ちている。

「見ない…で……」

 至近距離で回されているテレビカメラのレンズと、ふと視線が合う。このレンズを通して、知らない人が…大勢の人が自分の恥態を見ている…。そんな最悪のシナリオまでが脳裏をよぎる。

「あっ……もう…ぁ…だめっ!」

 股間を押さえる手に一層力が入り、傍から見てもわかるほど肩が大きく震えだす。理穂の様子を凝視するスタッフの間にも緊迫した空気が満ちる。

「出る…ぁ…、ああ…」

 最後に訪れた大きな尿意の波。それに抗うだけの力はもう残っていなかった。ふと周囲の騒がしさが消え、スローモーションで世界が回り出したような錯覚に襲われる。必死に閉じていた門の出口を熱いものが通り過ぎる瞬間が、何故かはっきりと認識できた。

 あっという間に太腿の間から漏れ出した液体は、脚に幾筋もの跡を残しながらつたい落ちる。必死に押さえつけていた両手にも、スカートを通じて温かい感触が伝わってきた。服の布地に水流が当たるくぐもった音。そして、裾からこぼれ落ちたおしっこが、ボートの床に跳ね返る音。それらを耳にした理穂の羞恥心の糸がぷつりと切れる。

「止まって…やだ…こんなのやぁぁああ!!」

 絶望的な悲鳴を上げ、プロデューサーの罵声が響くイヤホンを手で掴んで放り投げた。長時間体内に溜め込んでいた恥ずかしい液体の放出は、未だ終わる様子を見せない。周囲の人々も、彼女の恥態を目の前にして、どうして良いかわからず、ただ立ちつくしていた。

 自ら作った足元の水溜りは、ボートの揺れと共に、四方へと広がっていく。とめどなく溢れ続ける涙が、理穂の白い頬を濡らしていた…。












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