〜敗北(前編)〜





==街道==

――とある街道の分かれ道に2人の女性が向かい合って立っていた。一人は戦士の装備を身に付け、もう一人はどこかの神官のような装いをしている。本来は往来の盛んな要所であるが、既に夕暮れ時ということもあり、人影もまばらである。

「じゃあ、用事を済ませたらすぐにライデンに戻るから。」

 先に長身の女戦士が声を掛けた。すらっとした体型で、それほど力がありそうには見えないが、男性が使うようなサイズのロングソードを腰に差している。よほど体術に自信があるのだろう。

「気を付けて行ってきて下さい、リーア…」

 神官衣を着た女性が心配そうな面持ちで言った。

「そんなに心配しないで、シャリー。大丈夫、すぐに合流するから。」

 リーアと呼ばれた女戦士は両手を広げて少し肩をすくめると笑顔で答えた。雰囲気が少し重苦しくなってきたのを感じて軽い冗談でも言おうかと口を開きかける。しかし自分を真っ直ぐに見つめる神官の瞳を見て、言葉につまってしまった。

「そ、そんな危険なところに行くわけじゃないし、……ね?」

「わかっています。……マイリーの御加護がありますように。」

 両手を組み合わせて目を閉じ、祈りを捧げるシャリー。それが終わると、顔を上げて再びリーアの方をじっと見つめた。心なしか瞳が潤んでいるようにも見える。

「えっと……その………」

 こんな時、どのような態度を示せば良いのだろうか? 柄にも無くうろたえてしまいそうになっていたが、その時、遠くの方から男たちの声が微かに聞こえてきた。

「そろそろ行くぞ、シャリー、
 急がないとライデンに着く前に日が暮れてしまう。」

 彼らはここしばらく一緒に冒険を続けている仲間たちである。2人が別れを惜しんでいる間に、だいぶ先の方まで歩いて行ってしまったようである。

「じゃあ、ライデンで待ってますから」

 まだ何か言いたそうな表情を浮かべていたシャリーだったが、そう言うと小走りに仲間の方へと戻っていった。


 シャリーが仲間たちと合流するのを見届けると、リーアは街道を別の方向へと歩き始めた。この先しばらく歩くと、彼女の生まれ故郷がある。特に急な用事があるわけではないが、せっかく近くまで来たのだから立ち寄ってみようという気になったのである。パーティーとは別行動になってしまったが、すぐにまた合流できるはずだった。

「シャリーも…相変わらず心配性だな。」
 
 先ほど別れたばかりのマイリーの侍祭の顔が目に浮かんだ。もう少し気の利いた言葉をかけてやれば良かったと反省しながら、一人苦笑する。

「(そういえば、彼女と別行動するのも久しぶりか…)」

 …ふと、シャリーと初めて出会った頃のことが思い返された。

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――話は2年前に遡る。

 転機が訪れたのは、彼女たちが娼婦館で初めて顔を合わせてから数日後のことだった。店の主人に呼び出されたリーアは、自分の借金が帳消しになったことを知らされた。突然の展開に驚いたが、店主の後ろで静かに佇んでいた見覚えのある少女の姿を見て、事態が飲み込めた。

 娼婦館を出たリーアは大きくため息をついて振り返ると、後ろについてきた少女に話しかけた。

「じゃあ…あなたが私を身請けしてくれたってわけね。」

 先日会ったときは男装めいた格好をしていたわけだが、今日は神官服を身にまとい、髪の毛も綺麗にまとめている。およそこんな娼婦街には似つかわしくない清楚な出で立ちである。

「身請けって……?」

「いや…つまり、私の借金を肩代わりしたのか…ってことさ」

 その問いに対してシャリーは黙って答えなかったが、否定しないということはその通りなのだろう。確か両親が高名な司祭だという話だったし、家に金を出してもらったに違いない。

「まあいいわ、私は聖人君子でもないし、せっかくの好意を辞退したりはしないわ。
 とりあえず、礼は言っておくね。」

「でも…借りは作りたくない主義なんだ。何か私にできることある?」

 リーアの申し出を聞いた後、シャリーはすぐには返答しなかった。答えを探しているというわけではなく、既に心に秘めていることを言うか言うまいか、迷っている風であった。しばらくして、リーアの顔を真っ直ぐに見つめてゆっくりと語り出す。

「私の…主(あるじ)になって頂けますか?」

「主!?」

 思わずオウム返しに聞き返してしまった。

「(そういえば、マイリーの神官は勇者を見定めて、
  その者に仕えることがあるとか聞いた気がするけど…)」

 少女の真剣な眼差しを見る限り、冗談半分で言っているわけでは無さそうだった。

「(気の迷いとか、勘違いじゃないのかな…?)」
 
 何といってもまだ恋愛経験も無さそうな若い少女である。自惚れかもしれないが、一夜を共にしたことで、シャリーが自分に特別な感情を抱いてしまったということもあり得る。

「…まぁいいわ。主人というのはともかく、しばらく付き合ってあげるわ。」

 それを聞いて、シャリーの顔に喜びが溢れる。先ほどまでの真剣な表情とはうって変わって、少女らしい笑顔が弾けた。

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 …その時は、こんなに長い間一緒に旅することになるとは夢にも思っていなかった。
 当時マイリーの神殿で修行中だったシャリーは両親に事情を話し(おそらく反対されただろうが)リーアと近隣諸国を回る旅に出た。フレイム、ヴァリス、モス…。仲間も増え、パーティーを組んでギルドの依頼をこなすこともあった。おりしも当時は、後に英雄戦争と呼ばれることになる争乱の最中で、フレイムの傭兵部隊と共にマーモの残党狩りに加わったこともあった。


「随分、変わったな……」

 リーアは遠い目をしながらつぶやいた。自分ではなく、シャリーが、である。出会った頃と比べると幼さは薄れ、髪も伸び、女らしい雰囲気を漂わせるようになった。それでもリーアと並んで立つと、身長差のこともあるが、まだ子供っぽく見える。

「さて、急がないと……」

 考え事をしながらぶらぶら歩いている内に、日が沈みかけていた。慌てて目的地へと向かう足を速めるリーアだった…。



==ライデン==

――相変わらずライデンの酒場は賑わっていたが、人々の表情にはどこか暗い影が差しているように見えた。耳を傾けると、聞こえてくるのはフレイムで起きている内戦の話ばかりである。近隣の国の政情が不安定になれば商業都市として成り立つライデンにも少なからず影響があるだろう。そして最近では難民の問題も表面化してきている。

「噂に聞いたとおり、大変みたいですね。」

 仲間たちと円卓のテーブルにつき、酒場の様子を観察していたシャリーがため息混じりに言った。

「それより聞いたか?最近この辺りをマーモの連中がうろついているらしいぜ。」

 対面に座っていた戦士が話し始めた。ちなみに今のパーティーでは、シャリーとリーア以外は全員男性である。

「気になりますね…ちょっと探ってみませんか?」

 別に教義として暗黒神を忌み嫌っているわけではないが、正義感の強いシャリーとしては見過ごすことはできない情報だった。

「勘弁してくれよ。何でそんなことに首を突っ込まなきゃいけないんだ?
 あんたが金を出してくれるなら別だけどな。」

 それまで黙っていた魔法戦士が会話に加わってきた。今シャリーと話している2人はどちらも傭兵上がりで、性格も荒っぽいところがある。こんな冗談を言われるのはいつものことであり、無視するように手元にあったグラスから水を飲んだ。

 そっけない態度を見せるシャリーに馬鹿にされたと感じたのか、それとも既に酒が回っていたのか、続けて彼がこぼした一言が彼女の琴線に触れた。

「お前のとこ両親が金持ちらしいじゃないか。
 ――あの女戦士だって金で買ったって聞いたぜ?」

「おい、やめておけよ…」

 慌てて仲裁に入ろうとした仲間を無視して、魔法戦士は喋り続ける。

「いつも2人でべったりしていて、気持ち悪いったらないぜ」

 その台詞を聞き終わらないうちに、シャリーは椅子を倒しながら勢いよく立ち上がった。頬を紅潮させて目の前にあったグラスに手を伸ばす。おそらく投げつけようとしたのだろうが、すんでのところで思い留まり、魔法戦士を睨み付けた。

「いいわ、私一人で調べます!」

 そう言い放つと、きびすを返して酒場の入り口へと向かうシャリー。背後で誰かの笑い声が聞こえたような気がしたが、構わずドアを開けて屋外に出た。

「ふぅ…」

 白い吐息が口元から立ち昇る。海沿いで温暖な気候が特徴的な土地だが、今は一年の内で最も寒い時季ということもあり、夜はひどく冷え込んでいた。

 旅を始めてから気付いたことだが、どうも自分には激情家の一面があったらしい。マイリーの神殿で修行している間は感情を抑制することばかり覚えてきたせいで、その反動が出てしまったのだろうか。もっともリーアに言わせれば、単なるお嬢様のわがままということらしいが。

 こんな時、リーアが傍にいてくれたら相談できるのに…。そんなことを考えながらも、明日は自分一人で情報を集めてみようと心に決め、宿へと足を向けた。

「シャリーさん……」

 その時、不意に背後から声をかけられた。振り返ると、そこには不安そうな表情を浮かべた少年が佇んでいた。

「……どうしたの、ティル?」

 彼は最近仲間に加わったハーフエルフのレンジャーで、シャリーよりも若く、パーティーの最年少である。年が近いせいか冒険の道中で話す機会も多く、どうやらシャリーに好感を抱いているらしい。”らしい”…というのは、鈍感な彼女にリーアがそのことを教えてくれたからである。
 割とおとなしい性格で、先ほども仲間たちと同じテーブルにいたはずだが、記憶に残っていない。おそらく黙って口論を聞いていたのだろう。

「本当に一人で行くんですか?
 せめてリーアさんが戻ってくるまで待った方がいいんじゃないですか?」

「いいのよ。私ひとりで行くって言ったんだから、あなたは邪魔しないで!」

 興奮冷めやらぬといった調子で怒鳴りつけるシャリー。リーアの名前を聞いた途端、先ほど浴びせられた侮辱の言葉を思い出して再びかっとなってしまった。
 ティルはシャリーの剣幕に押されて思わず一歩退いたが、それでも真っ直ぐに彼女の顔を見つめ、真剣な表情で言った。

「僕も一緒に行きます。一人じゃ…危ないですよ、やっぱり…」

「……いいわ、勝手にしなさい。」

 投げやりな返事の後、早足で宿に向かうシャリーの背中をティルは複雑な表情で見送っていた…。


==ライデン郊外==

「…どうやら情報通りだったようね。」

 ライデン近くの海岸、切り立った崖で囲まれた入り江にシャリーとティルはいた。岩場の影に隠れている2人の視線の先には、1隻の大型船が停泊していた。発見した時、最初はどこかの密輸船か、さもなくば海賊の類だろうと決めつけていた。しかし、甲板の上にマーモ騎士団の鎧をまとった男たちがいるのをティルが目ざとく見つけ、酒場で聞いた噂が現実となったというわけである。

「どうするんですか、シャリーさん?
 まさか、このまま乗り込んだりしないですよね…?」

「…あなた、私をそんなに無鉄砲な女だと思っているの?」

「ご、ごめんなさい……」

「いいわよ。とりあえずライデンに帰って冒険者ギルドに報告しないとね。
 その前に、もうちょっと近付いて偵察してみましょう。」

「危ないですよ、慎重に動かないと…」

 ティルが制止しようとした時には、既にシャリーはより近い岩場の影へ向かって移動を始めていた。しかし、彼女が隠れていた場所から2、3歩踏み出した瞬間、足元に火花のような閃光が走り、視界全体が一瞬揺らいだ。

「………!?」

 思わずその場で立ちすくむシャリー。何が起こったかはわからなかったが、本能が身の危険を知らせていた。

「結界です!逃げて!」

 背後からティルの叫び声が聞こえた。

「(結界……!?)」

 うろたえるシャリーの目前で、足元の地面がゆっくりと盛り上がり始めた。そして土くれを辺りに撒き散らしながら姿を現したのは、竜牙兵だった。

――竜牙兵。
 魔術師がドラゴンの牙を用いて生み出す不死の魔物で、下手な戦士よりよほど強い。話には聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。

「あ……ぁ………」

 早く逃げなければ…。頭ではそう思っていたが、腰から下は神経が麻痺してしまったかのようにぴくりとも動かない。こちらに向かって竜牙兵が剣を振り上げる様子が、スローモーションのようにシャリーの瞳に映っていた。

「(駄目……!!)」

 無駄な予備動作など見せず、一直線に剣が振り下ろされた。彼女が腕で頭を庇いながら目を閉じたのと、金属音が鳴り響いたのはほとんど同時だった。

「逃げて下さい!」

 仲間の少年の声を聞き、はっとして再び目を開く。いつの間にかティルがシャリーと敵の間に飛び込んできていて、ショートソードで斬撃を受け止めていた。

「待って!今助けるから」

 慌てて神聖魔法を唱え始めようとするシャリー。

「そんな暇ないです!、シャリーさんだけでも早くっ…!」

 ティルの表情と声には悲壮感が溢れていた。

「でも……!」

 シャリーが反論しようとしたその刹那、彼女の視界の中で血しぶきが上がった。いつの間にか竜牙兵は他にも数体現れて彼女たちを取り囲んでいた。その内の一体が振るった新月刀が、ティルの革鎧を切り裂いたのである。

「ティル!」

 少年の顔から、急速に生気が抜けていく。その場にがっくりと膝を付き、そのまま地面にうつ伏せに倒れ込んだ。

「…ティル!大丈夫っ!?」

 傍に駆け寄り、背中を揺り動かして呼びかけたがティルの反応は無かった。手のひらに伝わる少年の体温が次第に感じられなくなってくる。斬られた傷はそんなに深くないように見えたが、血が止まらない。

「(どうして…どうして……?)」

 信じがたい光景を目の当たりにして、聡明なはずのシャリーの思考が停止する。ティルの側に座り込んだまま、間近に迫ってきた魔物の様子に気を配ることもなく、ただ虚ろな視線を宙にさ迷わせていた。

 自分も神の元に召されるのだろうか…。そうぼんやりと考えていた時だった。突然視界が厚い霧のようなもので遮られた直後、身体が痺れて意識が遠くに飛んでいくような錯覚に襲われた。

「あ……ぁ……」

 それは何者かが唱えた”眠りの魔法”の効果だったのだが、今の彼女にそのことを自覚できるだけの余裕は無かった。ただ、完全に意識を失う直前、黒いローブを身にまとってマーモの船のへさきに立つ男の姿が目に映ったような気がした…。










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