〜響と葵<前編>〜







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 その日最後の授業が終わり、教室が一気に騒がしくなる。部活の準備を始める者や、その場でお喋りに興じる者たちの間をぬって、彼女は下足ロッカーへと急ぐ。
 校舎の外は人影もまばらで、小走りに歩く自分の足音だけが辺りに響く。わき目もふらず帰路を急いだため、広い敷地内を通り抜ける頃には軽く息が上がっていた。校門が視界に入ると、退屈な学校生活からしばし解放される嬉しさで心が満たされる。

 きっとクラスの中でも一番早く家路についているはずだ。そんなことを考えながら公道に出た瞬間だった。ふと校門の傍らに佇む一人の少女の姿が目に入る。一瞬目が合ったが、すぐに視線をそらされてしまった。背丈は150cmにも満たないくらいだろうか。制服の裾から伸びる白く透き通るような手足が目を引く。華奢な体つきに対して、制服のサイズがフィットしていない。今年入学したばかりの子なのだろうか。
 面識はないはずなのに、どこかで会った気がする。少し頬を赤らめてうつむく少女の横顔をもう一度見たが、記憶の糸をたぐり寄せることはできなかった。ぼんやりとした既視感をぬぐい去れないまま、校門近くのバス停へ向かった。


「(どこかで見たことある気がするんだけどな)」

 先ほど見かけた少女の顔が再び脳裏によみがえる。自分の部屋で机に頬杖をつきながら、何となくパソコンの画面を眺めていた。
 自宅にまっすぐ帰ったものの、特に家ですることがあるわけではなかった。授業が終わった後、同級生たちと学校でお喋りに興じたり、寄り道してどこかへ遊びに行くことはめったにない。そもそも今通っている学校はあまり居心地が良いと思ったことがないのだ。母親が卒業生であるということと、制服が可愛らしいという理由だけで選んでしまったが、同級生たちは皆小学校または幼稚園からエスカレーターで進学してきた女の子たちばかり。世間的にはお嬢様学校と呼ばれているところである。普段から彼女たちとは話題が合わず、特に自分の趣味については話す相手すらいない。

 マウスのクリック音が響くたびにパソコンの画面が切り替わる。そこにはアニメやゲームの登場人物の衣装を着こなした少女たちの写真が映し出されていた。彼女の趣味は俗に言う"コスプレ"である。自分で衣装を作成してイベントで着たり、他のコスプレイヤー仲間と写真を撮りあったりして楽しんでいる。
 今見ているのは、つい最近のイベントの集合写真である。写っている20人くらいの集団のうち、半分くらいは知り合いか顔見知りだった。ここ1年くらいでコスプレ関係の交友関係も随分と増えた。しかし学校でそのことを人に話すことは一切無い。

「(あれ、この子!?)」

 ふと写真の端に目が止まった。奥のほうで少しピントがボケているが、間違いなくあの女の子……今日校門ですれ違った少女だ。集合写真に加わっているわけではないが、たまたま後ろを歩いていたのだろう。少女は深夜アニメのヒロインの制服を着ている。出会った時の既視感は、この写真の記憶から生まれたものだったのだろうか。そして……

「それと……こっちは藤崎綾香?まさかね……」

 コスプレ少女の傍らには長身の女性が写っていた。光の加減で顔がはっきりとわからないが、クラスメートの1人に良く似ている。
 藤崎綾香はクラスでも特に目立つ存在である。容姿端麗で、家はお金持ち。典型的なお嬢様という雰囲気を漂わせている。それを鼻にかけている風はないのだが、話していると庶民の自分を見下しているのではないかと思うことがある。どうせ金持ちと話題なんて合うわけがないし、最近は話しかけられても半分無視することにしている。

「(この子、何年生かな)」

 アニメに全く縁の無さそうな藤崎綾香がこの写真に写っているということも驚きだが、それよりも校門で出会った可愛らしい少女の方が気にかかる。コスプレをしているということは当然その手の趣味を持っているはずだ。外見から判断する限り、きっと年下、後輩だろう。同じ学校にコスプレ仲間がいるなんて思ってもみなかったが、一度話してみる価値はありそうだ。

「響、ご飯よ」
「はーい、今行く」

 階下から母親の声が響く。その声に応えながら、写真閲覧ソフトの印刷ボタンを押した。次に少女に会えた時、写真と照らし合わせれば本人かどうかすぐにわかるだろう……。

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〜響と葵<前編>〜

「(綾香さん、遅いよ……)」

 葵の唇から本日何度目かのため息が洩れた。校舎の方から終業を知らせる鐘が鳴ってから30分ほど経っている。帰路につく女生徒たちの姿も増え、校門の周りは急に騒がしくなってきた。

「(携帯つながるかな?)」

 アドレス帳から綾香の電話番号を選択してみるが、まだ校内にいるであろう彼女に電話をかけて良いものかどうか、躊躇してしまう。


「放課後、校門の前で待ち合わせだからね」

 2日前の夜、綾香はそう言いながら自分の制服を差し出してきた。12月も半ばに差しかかり、葵の通う学校はテスト休み中である。

「うちの学校も明日でテストは終わりなのよ。明後日もHRだけだし、放課後一緒に遊びに行きましょう」
「それはいいけど、この制服は?」

 綾香の意図するところは想像に難くなかったが、念のため聞いてみた。

「もちろん葵が着るのよ」

 何を今更といった表情を浮かべる綾香。

「男の子が女子校の前でうろうろしていたら、警備の人に見咎められてしまうじゃない。私が1年生の時に着ていた制服だから、サイズもきっと大丈夫よ」


 ……そんなやり取りを思い返しながら、葵は丈が余り気味の制服の裾を整えた。いくら綾香が昔着ていたものとはいえ、彼女と葵では身体の作りが違う。手足が長く、すらっとした体型の綾香のためにオーダーされた上着の袖は、葵の手のひらを半分くらい隠してしまっている。

 その時、1人の学生が軽く頭を下げながら葵の前を通りすぎた。

「ごきげんよう」
「ご……さ、さようならっ」

 慌てて会釈を返したが、声がうわずってしまった。校門の前で談笑していた2人連れの少女たちがお喋りを止めて葵の方に視線を向けた。

「(見られてる?)」

 声を掛けられたら……不審者扱いされたらどうしよう。軽くパニック状態に陥りながらなるべく人目につかない場所へと移動する。ただし待ち合わせ場所から遠く離れるわけにもいかず、周囲に人通りの多い状況から逃れることはできない。

「(綾香さん、早く来てよっ)」

 葵の願いとは裏腹に、それから20分近く経っても目当ての人物は現れない。下校のピークも過ぎたのか、次第に校門周辺の人影もまばらになってきた。

「(今日は寒いなぁ……)」

 寒さでかじかんだ手を暖めようと白い息を吐いた瞬間、下半身から震えが広がる。12月の冷たい風が太腿の間を通り抜けた。
 辺りを見回せば、8割方の生徒は黒いタイツやマフラーなどで寒さに備えている。天候が良いとはいえ、気温は低い。コートを着込むほどではないが、制服の上着だけでは何とも心許ない。

「(どうしよう……)」

 葵の表情に不安の色が浮かぶ。寒さからくる震えが去った後、下腹部に残った重みが少年を悩ませていた。その生理的欲求は次第に頭の中を満たし始める。
 この格好で校舎内の男子トイレに入るわけにもいかないし、1人で女子側に入る勇気もない。綾香がいれば何とかフォローしてくれるだろうが、彼女の姿は未だ見当たらない。一旦近くのファーストフード店にでも入って用を足すという選択肢もあるが、綾香とすれ違いになっても困る。急激に募る焦燥感にむき出しの太腿をすり合わせて足踏みを繰り返す。

 とりあえず綾香にメールしてみよう。そう考えて携帯を取り出した瞬間だった。

「ねぇ君、そんなところで何してるの?」

 背後から声が響いた。息を呑んで振り返った葵の視線の先には、見知らぬ少女が立っていた……。









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